映画「ノア 約束の舟」鑑賞~あらすじと感想~ | カンヴァス~徒然国語日記~

2015年8月6日木曜日

映画「ノア 約束の舟」鑑賞~あらすじと感想~

 久々に映画を見ました。

以前から気になっていた「ノア 約束の舟」


 旧約聖書にあります、「ノアの箱舟」のエピソードを映画化したということ。
 各国から批判が相次いだという話を聞いて、いつか絶対見たいと思っていました(笑)。

 そして、ようやく見た結果。

 確かに、これは信者からクレーム来るだろうな! ……という感じの内容でした。

 というわけで、以下よりネタバレあります。ご注意ください。





あらすじ

 創世記、エデンを追われたアダムとイブは、カイン、アベル、セトの三人の息子を設ける。アダムらを助けた光の天使たちは、神に背いたとして堕天させられ、天上に戻れずにいた。
 しかし、カインはアベルを殺し、いつしか人間は堕天使らを裏切るようになる。そんな中、唯一神の創造物を守ったのが、セトの子孫・メトシェラ(アンソニー・ホプキンス)だった。

 神からのお告げを受け、大洪水が来ることを知ったメトシェラの孫・ノア(ラッセル・クロウ)。
 神は堕落した人間を一度滅ぼし、信心深く誠実なノアの一家のみを残すことで、地上の穢れを払おうとしたのだ。
 ノア一家は、メトシェラや堕天使の力を借りながら、罪のない動物たちと自分の家族を救うため、巨大な箱舟を作り上げた。

 ノアの長男・セム(ダグラス・ブース)には、恋人のイラ(エマ・ワトソン)がいたが、彼女は子どもが望めない体であった。また、次男のハム(ローガン・ラーマン)、まだ幼い三男のヤフェト(レオ・マクヒュー・キャロル)に妻はない。
 ノアは、大洪水によって一度リセットされた後の人類の存続のため、息子たちの妻を探しに出かける。

 しかし、そこで人の醜い所業を目の当たりにしたノア。
 自分や家族の中にも醜く身勝手な心が存在していることに気付き、神の真意が人類を完全に滅ぼすことにあると思い込む。

 妻や息子たちの訴えも聞かず、ノアは息子たちの妻を探すことをやめ、人類を自分の一家で滅亡させることを選んだ。
 息子たちを不憫に思ったノアの妻・ナーマ(ジェニファー・コネリー)はメトシェラに頼み、イラに祝福を授けてもらう。
 メトシェラの祝福によって、イラは子どもを望める体になった

 一方、自力で妻を探しだした次男のハムであったが、途中、カインの子孫であるトバル・カイン(レイ・ウィンストン)に襲われる。
 ノアは彼女を見捨て、自分の息子だけを助けた

 その後、トバル・カイン一味の襲撃を受けながらも、方舟に乗り込むノア一家。
 ノアは方舟の外で罪のない人々が苦しむのを無視。家族はノアに不信感を募らせる。

 そんなある日、イラの妊娠が発覚。ノアは激怒し、「子どもが男なら生かす、女なら殺す」と言う。
 生まれた子どもは女の双子だった。
 長男・セムは自分の妻と子どもを守るため、ノアを殺そうとする。
 そこで、舟に忍び込んでいたトバル・カインと、次男・ハムも交えた乱闘になる。

 次男がトバル・カインを殺したあと、イラと双子を追うノア。
 しかし、結局は双子に対し愛情しか感じることができず、殺すことはできなかった

 新天地にて、家族と離れ孤独に暮らすノア。あなたは慈悲をみせたのだとイラから慰められる。
 一方、次男のハムは一人、新たな土地へと旅立つのであった。


感想

 俳優陣を見るだけでテンション上がりました。
 私が好きな俳優さんが盛りだくさん!

 特に「羊たちの沈黙」シリーズ、ハンニバル・レクターでお馴染み、アンソニー・ホプキンスの名演技が光ってました。
 ちょっと怪しい雰囲気が素晴らしくいい味だしてました。

 メトシェラがもうレクターにしか見えない



 それはともかく。

 内容は面白いです。
 特に後半、ノアが神は人間を滅ぼすつもりだと思い込んでからの狂気がいい。

 神のためには自分の孫を殺そうとさえする姿は、まさしく狂信的な信者像を示しています。


 この映画、はじめは原理主義者に対する皮肉かとも思ったのですが、全て見終わってから、それだけではないと感じました。
 どちらかというと、聖書をモチーフにした作品を作るにおいて、登場人物の心理をリアルに追及していった結果、作り上げられた作品のように感じられます。

 「現実に聖書の出来事が起きたならどうなるか」、という部分がリアリティーをもって描かれています。

 私は特に宗教的思想を持っているわけではありません。典型的な日本人の例ですね。
 だから、信者としてのノアの狂気に共感できる部分は少なく、むしろノアの家族目線で物語を追っていました。
 それでも、神に選ばれてしまった者としてのノアの葛藤は理解できます。

 ノアは、自分の家族以外の人間を、全て見殺しにしました。
 それは神の命だったとされますが、果たして、本当にそうなのか?
 そして、例え神の命だったとしても、救えるはずの他者を見殺しにするのは、本当に正しい行いだと言えるのでしょうか?

 それでは、もし、自分がノアの立場にあったら?
 狂気にとりつかれてしまうのも、無理はありません。


 何かを固く信じる人間は、強くもあり、怖くもあります。
 極端に視野が狭まってしまう。

 ただ、「信じる」のは楽なんですよね。自分の行動を自分で決めなくてもいいわけですから。決定のために用いる努力資源が少なくて済みます。
 結果についても、すべて「神の御導き」だとすれば、自分が責任をとる必要はなくなります。


 そう考えると、ある意味一番「人間らしく」、「自力で」生きていたのはトバル・カインだとも言えます。

 そして次男・ハム。彼は父親を守るため、トバル・カインを手にかけます。
 自己のために他者を傷つける。それが「人間」だとトバル・カインは説きます。そうやって人類は進化してきたのだと。
 その言葉はある意味で当たっているかもしれません。
 ノアやその家族の行動も、結局は「利己的」なものだということができます。

 しかし一方で、ノアは最後、双子の赤ん坊に対し、深い慈悲を見せます。
 神を裏切ると思ってもなお、罪のない赤子を殺すことはできませんでした。
 その慈悲の心も、人が持つ性質の一つです。



 ノアの方舟というから、てっきり、「ノア一家の信仰心と誠実さが~……」とか、「方舟で食料が尽きかけて~……」という内容に焦点が当たっているかと思っていたのですが、全く違いました。


 単なる宗教映画に終わらない、人の弱さと恐ろしさ、そして慈悲を的確にとらえた作品だと言えるのではないでしょうか。