「全然だいじょうぶ」は全然問題なし? ~ことばの乱れ① 追記~ | カンヴァス~徒然国語日記~

2015年8月1日土曜日

「全然だいじょうぶ」は全然問題なし? ~ことばの乱れ① 追記~

 前回アップしました「『全然だいじょうぶ』は全然問題なし?」(2015/07/25)という記事の補足です。

 「全然」という語について、辞書を比較すると傾向が見えてくるかと思いましたので、少しだけ紹介致します。
 その上で、もうちょっと深く「全然」の使い方について考えてみました。





『明鏡国語辞典 第二版』(大修館書店、2011)
[副]

  1. 下に否定的な表現を伴って全面的な否定を表す。ちっとも。まるで。まったく。「意味が―分からない」「―いいところがない」「そんな心配は―不要だ」
    • ▶もと肯定表現で、まったく、まるっきりの意でも使った。「三人が―翻訳権を与次郎に委任することにした〈漱石〉」
  2. 〈俗〉程度の差が明らかであるさま。断然。「こっちの方が―大きい」「私よりも―若く見える」
  3. 〈俗〉(否定的な状況や懸念をくつがえす気持ちで)全く問題なく。「―平気だよ」


 ここで、1が陳述の副詞としての「全然」にあたります。
 ちゃんと、近代文学における「全然+肯定」の使用法についても言及していますね。

 あと、俗な用法とはしていますが、現代における「全然+肯定」も認めています。
 ここでは、「断然」の意をもつ「全然」と、「全く問題ない」という意を持つ「全然」の使い方を分けて考えています。



『デジタル大辞泉』(小学館)


  1. (ト・タル)文 (形動タリ)
    • 余すところのないさま。まったくそうであるさま。「-たるスパルタ国の属邦にあらずと雖も」(矢野竜渓『経国美談』)
  2. (副)
    1. 後に打消しの語や否定的な表現を伴って)まるで。少しも。「―食欲がない」「その話は―知らない」「スポーツは―だめです」
    2. 残りなく。すっかり。「結婚の問題は-僕に任せるという愛子の言葉を」(志賀直哉『暗夜行路』)
    3. (俗な言い方)非常に。とても。「―愉快だ」



 ここでは、2-1の内容が、陳述の副詞としての「全然」にあたります。

 2-2は近代文学で使用されていた「全然+肯定」。
 2-3は、俗な言い方としてはいますが、いわゆる現代における「全然+肯定」のことです。

1の形容動詞としての「全然たり」は、恐らく漢文から来ているのでしょう。
 『新漢語林 第二版』(大修館書店、2011)には、「全然」として「まったく。そっくり。まるで」という意味が載っていました。

 語源を調べていないので詳しいことは言えませんが、ここから、元々漢文では「全然」は肯定とセットで用いても問題なかったことが読み取れます。



『広辞苑』(岩波書店、1998)


  1. (名)
    • まったくその通りであるさま。すべてにわたるさま。
  2. (副)
    1. すべての点で。すっかり。
    2. 下に打消の言い方や否定的意味の語を伴って)全く。まるで。
    3. (俗な用法で、肯定的にも使う)全く。非常に。



 広辞苑では、2-2が陳述の副詞としての「全然」にあたります。

 2-1は、近代文学で用いられていた「全然+肯定」のことを示しています。
 2-3では、俗な用法としながらも、「非常に」の意味を表す「全然+肯定」を認めています。


 1で示される名詞としての「全然」は、『大辞泉』に載っていた形容動詞の「全然たり」と同じ意です。

 どの文法論を採用するかによっては、そもそも形容動詞という品詞の存在を認めないこともありますからねー。
 広辞苑では、形容動詞は「名詞+助動詞」として扱われているのでしょう。



 3つの辞書を見比べてみましたが、辞書の編集者も「全然」の扱いに苦心している様子が読み取れます。

 基本的には、陳述の副詞としての「全然(否定を伴う)」を主流として扱い、近代文学で用いられてきた「全然+肯定」も紹介する。
 加えて、俗な用法とはしつつも、「全然+肯定」が「とても、非常に」の意味をもつことも示している……という感じでしょうか。

 採用している文法論によって、説明が多少異なっていることからも分かるように、辞書にすべての正解が書かれているわけではありません。


 それでは、そもそも「正解/不正解」とは何なのか?


 「正解/不正解」を考えるとき、必要となるのが「基準」です。
 私たちが学校で教わってきた日本語の「基準」は、橋本文法と呼ばれる、ひとつの学説に過ぎません。

 基準となる学説が必ずしも真実を示しているかと言われると、そうとは言いきれないわけです。


 したがって、「全然+肯定」が正しいか誤りかという問いの答えは、見る方向によって簡単に変化しうると言えるのです。



 もともと、言語はコミュニケーションの道具ですから。
 個人的には、その社会集団に受け入れられるかどうかが「正しさ」を測るひとつの鍵になると考えています。

   「全然だいじょうぶです!」
と言って、受け入れてもらえるなら問題なし。

   「最近の若者のことば遣いはなっとらん!」
と指摘する人が多ければ、直せばいい。

 ……と、ざっくり考えていいんじゃないでしょうかね。



 ただ、ちょっと注意したいのが、辞書で「全然+肯定」を「とても。非常に」の意味で使うと載っていた部分。
 「全然+肯定」と「とても。非常に」は、私の感覚だと、微妙なニュアンスが異なるように思われます。

 例えば、恋人に手料理を振る舞った場面を想像しましょう。
 あなたの手料理を食べた恋人が口にした台詞がこちら。


   「とてもおいしいよ!」
   「全然おいしいよ!」


 この二つの台詞、受ける印象が異なりませんか?

 私は、後者の台詞を言われるとイラッとします。

 「とてもおいしいよ」だと、単純に「褒めてくれるんだな~」、と思います。
 一方で、「全然おいしいよ」だと、「想像してたよりはおいしいね。まあ、食べられるよ」的なニュアンスが含まれているように感じてしまいます。

 やっぱり、「全然」には否定的な意味が含まれているような感覚がありますね。
 これはどちらかというと、『明鏡国語辞典』でいう3の用法にあたります。



 さて、ここで、私と同じように「全然+肯定」には否定的意味が含まれていると感じるA子ちゃんがいたとします。
 一方で、「全然+肯定」=「とても」として捉えているB男くん。

 A子ちゃんとB男くんが恋人同士だったら……A子ちゃんが手料理を振る舞ったとき、確実にケンカが勃発します。

   A子「どう? おいしい?」
   B男「うん。全然おいしいよ!」
   A子「何よ、せっかく作ってあげたのに! 嫌な感じね!」
   B男「俺はただ『おいしい』って褒めただけなのに。何で怒ってるんだよ」

 「全然」が生み出すすれ違いのはじまりです。
 ことばの感じ方ひとつで、受ける印象が随分変化してしまいます。

 「全然」の使用法については、「正解/不正解」を考える前に、まず相手がどう受け取るか、ということを考えながら使うことが一番大切なんだろうと思います。

 「全然」がことばの一部である以上、コミュニケーションに使うのが第一の目的ですから!

 まあ、そう考えると、「全然」は否定とセットで使う方が無難ではありますね。
 特に公式の場なんかでは、誤解を与えかねない使い方は避けた方がいいかもしれません。



 自分が普段「全然」をどう使っているか、どう受け取っているかを振り返ってみると、意外と面白いかもしれませんよ~。